「人のわろき事は,よくよくみゆるなり。わがみのわろき事は,おぼえざるものなり。」(『蓮如上人御一代記聞書』195)昨日一日そんなことを,くよくよ考えていた。
お聖教の言葉を使って自分の行動を正当化したり,権威づけしているなあ。ムロン自分のことではない。ある人のことを思いながらそんな批判を思った。そして,お聖教の言葉は,自分を正当化するものではなく,自分の我を崩す,斬るものではないかなどと。
そこで,蓮如上人のこの言葉が浮かんできた。「我が身のわろき事は,おぼえざるものなり。」そして,人のアラは,次々と見えてくる。いや探している。
先日の暁天講座の反省会に出る。僕は,「弟子の座を忘れていた。」などと感想を語った。その上,ある年長の先輩を傷つける言葉を言った。自分のモノサシに合わないと言った。
昨日ある会合に出る。地元の由緒ある歴史を学ぶという趣旨の話題。その中に我が高雲寺もあった。確かに歴史はある。でもそれを「誇る」ことから真宗ではなくなるような気がする。「真宗の宝は三宝(仏・法・僧)ですね。」と言われた友人の言葉を思い出す。
入寺以来,空池となっている裏庭の池。前住時代には鯉を飼っていたという。僕は鯉を飼う趣味はないが,睡蓮はどうだろうと前から考えていた。そのためには水漏れ箇所の補修をしなければならないし,粘土質の土を大量に確保せねばならない。裏庭に田の土を貰って埋める,これは大変な作業だ。イブキの木が覆いかぶさっていて,日当たりが悪いが睡蓮には不向きだろうか。
いつからか洗面台にこれが置かれている。ニキビ予防の洗顔剤らしい。先日の来客かキャンピズの学生の忘れ物だ。そして鏡には醜悪なジジイが映っている。
今日は火曜日。ゴミの日,それに第四火曜日はビンも。一人暮らしだからいつもはせいぜい一袋。来客の後はこのとおりとなる。車の後部座席に満杯状態。実はこの外にアルミ缶がある。アルミ缶は授産施設に渡すために別にとってある。
来客用の布団を押入れに仕舞わなきゃいけないけれど気力がわかない。賑やかだった部屋がテレビの音しかしない。これって僕の日常なのだけれど,若い人たちと同じ空間に息することの楽しさを今更のように思い起こす。
前の職場で一緒した仲間がやってきた。大人7人に子ども4人。やっと歩けるようになったばかりの1歳時や2歳児が本堂をかけまわる。この子たちにとっては本堂というものが珍しい空間だった様子。
ドラム缶風呂は,温度管理が難儀。引率の大学の先生が黙々と大鍋にお湯を沸かして運ぶ姿を見た。初日はぬるく。二日目は熱過ぎたのだけれど,すぐに冷めてしまう。K先生が懸命に湯加減をしてくださったことをほとんどのキャンピズメンバーは知らないだろう。
19人の仲間たちが帰る。このグループは,今年初めての来訪で「敦賀キャンプ」と称されていた。キャンパーさんもスタッフも初めての来訪の方がほとんどで,その分,経験者の負担が多かったように思う。メインのプログラムが地元の小学生との交流だったが,果たしてどうだったのだろうか。
他の人との関係を上手につくれないと言われる子たちなのだけれど,今回の参加者は,スタッフと手をつなぐのをムシロ好んで求めるような気がする。
あいにくの大雨の中を,定期バスに乗ってキャンピズがやってきた。例の下水道工事で道路がふさがれていて,裏道を案内する。最初からずぶ濡れになる。
夜中に蚊にくわれて目を覚ます。毛穴からアルコール分が分泌されるからだろうか,よくこういうことがある。そこで,真夜中にムヒを塗ったり,蚊取り線香に火をつけることになる。今日から来訪のキャンピズのみなさんにも蚊取り線香をあちこち配置しなければと準備している。
盆法要に続いて,法事が2件。久しぶりに帰省された方々と酌み交わし,おしゃべりした。村の中の何だかあわただしい雰囲気も昨日まで。急に静かになった。「孫は来てヨシ帰ってヨシ」と言われるが,喧騒のお盆は終わった。昨日の雨もあって,朝晩は随分涼しくなった。僕の方も夏の第一陣が終わった。明日からキャンピズの2回目の来訪もあり,前の職場の仲間も海水浴にやってきてくれるから第二陣が始まる。
村の人は「盆花」という。お盆の仏華にはこれを使わなきゃいけないとまで思っている人が多い。
暑かった。お勤めで声を出すから余計暑い。汗が吹き出る。見慣れぬ方のお参り。「あれは弟です。」と言われ,帰省の方が何人かお参りくださったのだ。
昨日,突然遠来のお客の訪問を受ける。「お墓参りに来ましたので。」と,寺にも立ち寄ってくださる。一家全員で都会に出られて何十年。この時期にいつも来られる。お盆シーズンは,ヤハリふるさとに足が向くのだろう。寺が帰るべき場所の一つなのかも知れぬ。
花屋で「お盆は忙しいでしょう?」と声をかけられる。「ううん。15日の昼から孟蘭盆会法要するだけ。」と答える。盆参りと称する各ご門徒宅へのお参りがあると思われている。同じ敦賀でも,この村ではいわゆる「盆参り」はない。その代わり,年忌法要が集中する。年間10件あるなしの年忌法要のうち3件がこの週末に。帰省客のある今の時期に年忌法要を考える人が多い。
学生時代,そして勤務地としても縁の深かった名古屋。これまで名古屋文化を嫌い,悪く言うことも多かった。でも,きしめんを初め味噌カツ,すがきやラーメンなど身体が名古屋を欲している。
オリンピックの中継を見ながら,ふと,トップアスリートの表情は何でこんなに美しいのかと思う。平泳ぎの北島康介の涙を見て,グッときたのを初め,競技中の各選手の懸命な表情がとてもいい。勝者はもちろん,競技最中の表情の美しさは何だろうと思ってしまう。
こんなシャレた写真は,当然僕ではない。いつもの雰囲気とは違った写真を公開したくなったので,ある方から送信されたものを頂戴した。無断での掲載お許しください。
夜,学生たちとおしゃべりするのが楽しい。「このごろ,社会福祉学科への受験生が減少してきているんですって?」に,「それだけじゃないですよ。大学で福祉を専攻しながら,半数が他の分野に就職していきます。」と。
北京オリンピックや高校野球を生み出すエネルギーはヒロイズムだと思う。
08年8月8日の今日を実は待っていたのだ。僕のブログの888回がどうも8月8日と重なるかもしれないと気づいたのは7月末。それからというもの,毎朝の更新が楽しみだった。そして,今日888回。
今年で3年目になる。10泊11日という長期キャンプのうちの2日間を敦賀にやって来てくれる。門徒のばあちゃんたちから食べきれない量の野菜が届く。そのうちトマトを井戸水に浸ける。このトマトが例年好評なのだ。そして,ブログで知ったと,ある方が桃を差し入れてくださる。
本堂で仏華に挑戦していると,「ゴエンさん。学生さんが来ると聞いたから,すいか,小さいのを一つ置いといたで。味は保証できんけど。」見ると,何と3個も。すいかをいただいたのは初めて。ここでも西瓜を作っている人があるんだ。
喉が痛く,口を大きく開けるのもつらい。つまり風邪症状だ。昨日午前の福井別院のクーラーがちょっと強すぎるなあと思った。そして,帰宅して荷物を置きかえて,夜は長浜教務所へ。道中のカークーラーもイヤな気分にさせる。身のおきようもないほどのこの暑さ。でも本当はその中で汗まみれになっている方が健康的なんだろうなあ。
盆前の恒例のオミガキが行われる。ここ数年,磨き粉で磨くことにしているが,液を使った年もあって,「あれはラクでいい。」などとの会話が必ず出る。また,このごろお内仏でオミガキをしないでイイ(オミガキをしてはいけない。)仏具があるらしい。
いよいよ,昨日から山門前の参道に重機が入った。下水道工事がここまで来た。前日に,車を避難させてくださいと言われ,前の責役宅の駐車場をお借りする。一口に下水道工事と言うけれど,道路を奥深く掘り下げて,地中に下水管を這わせる,随分地中深くまで重機の爪が入ること知った。人は地球を傷だらけにして,快適な生活環境を獲得することを当たり前だけれど,なぜか実感する。自然破壊の加害者なんだ,僕も。
「横浜味噌」と言われる地元の菜ミソ。キュウリのもろきゅうなどに使う。ご飯の上にのっけて食べると食欲をそそる。今年もそのシーズンがやってきた。この村の特産なのだが,作れるのはTさん一人になった。友人に宅配便で送る。「この間テレビに出ていた味噌でしょ。」とお礼を言われ,僕にとっても自慢の味噌なのだ。
昨日は終日,ある法座の中に入れていただいた。そこで,一向宗が何故弾圧されたのか,経済的な理由もあるが,まず第一はパラダイムチェンジが恐れられたと。初めて聴く言葉だ。つまり,これまでの常識や体制が底ごとひっくりかえされる。だから恐れられた。他力の信心は,努力意識,修行意識をひっくりかえすもの。悩み続けていく力が他力の安心と。そして,一緒に煩悩具足と。内と外が不一致だということに苦しまなければ宗教ではないなど。