昨年失敗した西洋朝顔(ヘブンリーブルー)の葉がメッシュになっている。今年もか。これはまずい。ムシだ。ナメクジではないかという。早速探してみるが姿は見えない。でも,これは大変。何とかしなくては。
今朝は,朝一番に地元の小中学校から「この雨で体育大会を明日に延期。」と伝えられる。そうか残念。今日は名古屋泊だから,明日は都合がつかない。
昨日の学習会で目にした文章。
「地獄なりとも故聖人のわたらせたまうところへまいらんとおもう・・」(略本私考)
「ゴエンさんでエエよ。」と言われ,手続させていただいた法名が届いたので,寺で帰敬式をする。本山で受けられるのが本筋とは思うが,僕のような者でいいといわれ,相続講という若干理解し難い事情もある。「衣を着ているときは,僕と思わんでください。」などと訳の分からぬ理屈を言って,「手引き」に書かれている手順にしたがって執行した。
テレビに放映されて,この村(横浜)の住人でもイブキの存在を知らぬ人が結構あったらしく,「見せてくれ。」と訪れる人もあらわれる。落ち葉を掃き清めねばと思いながらも,庭園灯を取り付けることを思いつく。思いついたらすぐに設置したくなってしまう。
N響が福井に来てくれる。しかもパイプオルガンも聞ける。実は友の会会員だから,少し安くそして早い目に購入できる特典を使ってチケットを確保していた。
昨晩も帰宅が10時を回っていた。真宗をきちんと学んでない付け焼刃の僕にとっては,こういう講座は得難い。実は,今夜も別用で遅くなる予定。
先日取材された地元のテレビ局の番組を見る。画面に映った自分を「えっ,こんなこと語っているのか。」おそれを知らぬというか,ベラベラとしゃべる,何だか別人のような自分に驚く。
19年度の婦人会総会が行われる。6月末までが19年度なのだ。今回は役員改選が予定されていたので,難航を予測していたが,難なく固まり,逆に拍子抜けする。
僕のところにも「ねんきん特別便」が届く。共済組合の分もフォローしてある。黒木から菅原,そして今は藤本と改姓してきたが,転職歴もそのまま記載されている。事務方がシッカリしていたからか。
帰宅すると,玄関前に緑色の山椒の実。お礼の電話をすると「いつ行ってもオラン。」と言われる。そういえば今月は,長浜に8回。彦根に2回。福井に1回。月末は名古屋へ。今月は特別とは思うが,ガソリン代の値上げが本当に痛い。
数日前,「ミャンマーや四川省の大惨事がありながら,自分のクヨクヨしていることってこんなこと」などと,ブログに書いたら,友人に「そう,私の一大事は,そうなんだ。」と教えられた。
昨日も長浜別院へ。沢山の人の中に紛れてお話を聞く。「仏の声を聞く」が講題だった。「私たちの念仏は不純そのもの。」「これが如来のお仕事と聞こえるまで私の一歩は出ない。」などと厳しい言葉にタジタジとなり,座り直すなどして聞いた。そして今更のように感動することや嘆きを忘れた自分を思い知らされる。
朝一番にモンゴウイカをいただく。「サザエ,誰やろって言ってたそうやな。」「ウン。」「ワシのほかに誰が持ってきたと思ってんや。」「いや,お裾分けで持ってこられたかと。」
忙しく走り回る中途で,脈絡もなく,「人を傷つける言葉」を思う。退職前に,ある生徒に「人を傷つけることに鈍感になってしまっている。」とお説教したことを思い出していた。人は,時に見事に人を傷つけることに鈍感になり,傷つけられることに敏感になる。
昨日に続き,茗荷さんの銅人形をアップする。これは新作ですと紹介された。僕の座った席に置かれていた人形だ。木の枠から何かを見上げるような表情を覗き込んでいるうちに,自分のこれまでになかった世界だなあと思う。
誘われて,市内の喫茶店で開催されている銅人形展「子供の時間」を観に行く。そして.作家の茗荷恭介さんのギャラリートークを聞く。
昨日の講演で,たった一つ受けたのが「ネット検索でフクイを検索すると福井ではなく腹囲が出てくるようになった。」のくだり。
今日は,敦賀市内の女性ボランティア団体に招かれて,久しぶりにスーツを着ておしゃべり。ネクタイを締めたのは何ヶ月ぶりか。
今日も福井別院へ。歎異抄第二章「いずれの行もおよびがたき身」のお話をいただく。何度も聞いている言葉なのに,「聞いた教えで,自分の心を押さえようとしている。」と言われ,ギャフンとなる。本当は分かってもいないのに,ワカッタと思い込んでいる。
先日,ある会の座談会で,悩みを相談できる相手は?といった話題になった。思わず「お寺さんは?」の問いかけに,「お寺さんに悩みや相談事を打ちあけるなんて,思いもつかない。」との言葉に,全員が大爆笑。そして,「お寺さんって,葬式や法事なんかで会うだけで,何だか恐そう。」と言われる。
先日来てくれた金沢時代の友人が,来訪のお礼といって,3年前に開催された鴨居玲の図録を送ってくれた。
大経を読んでいたら,ふと「善を見ては憎謗し,慕い及ぶことを思わず。」(p69) との言葉が目に入った。瞬間,「まるで少年院の生徒みたい。」と思った。彼らは,善意あふれる人,正義をふりかざす人を実に素早く嗅ぎ分けて,嫌い,打ち解けようとはしなかった。
前回,えさ場をアップしたのは,2年前の確か2月ころ。あれから,カラスが真っ先にやってきて,エサの果物を丸ごとくわえて持っていってしまうようになった。それで,しばし中断していたのだが,粟,ヒエなどなら小鳥たち来てくれるかなと思い直して,エサ場を作り直す。少し背が低いから小鳥たち用心して来てくれないか。どうだろう。
僕の寺へ色んな方が訪れる。そのほとんどが,難なく敷居をまたいであいさつし,おしゃべりする。それが普通。そして,その来訪が嬉しくなる。
総集編でもカットされたから,永遠に埋没されてしまうような気がして,書かずにはおれない。
この2日間,はまっていたドラマの総集編を見る。そして,僕の胸に響いた珠玉のセリフ場面が,ことごとくカットされていることを知る。そうか,感銘を受けたセリフは,みな脇役といわれる人の言葉だったのだ。編集という仕事は,肝心の場面を斬り捨てる作業なのか,とまでうらめしく思った。
来訪してくれた友人たちと,真宗の出雲路派本山(越前市)と誠照寺派本山(鯖江市)にお参りする。県内にはあと二つの本山がある。きれいに清掃された大伽藍を仰ぐ。パンフレットを読んで「和讃門徒」という言葉を知る。本願寺が出来る前,蓮如上人が北陸の地に来られる前に歴史はさかのぼる。法灯の伝持,そして,寺の護持についても考える。
20年前にタイムスリップしたように,おしゃべり。それぞれが品よく歳を重ねているなあと口調のおだやかさなどから感じてしまう。そして ,今でも在家門徒である彼らの言葉を新鮮な批判として聞き入ってしまう。金沢のような真宗王国といわれる土地柄でも,青年,壮年といわれる世代の人が法座に座ることがほとんどなくなっているという。通夜の席で初めてお話を聴く経験をする人が多い。などとの話題になり,通夜でのお話って大事ですよと言われてしまう。
実は今日,金沢から友人が来訪してくれる。20年前,金沢に住んでいたころの仏青(仏教青年会)仲間だ。当時だって40歳代で仏青と名乗るのもオカシイ年代だったが何故かそこの寺の仏青メンバーはみな年配者ばかりだった。今は当然,還暦過ぎのじいさんになっている2人が泊まりに来てくれる。
昨晩はいつもの婦人会のお勤めの稽古。休憩時間でいつものようにおしゃべりしていると,「ゴエンさん,HPに行事予定を載せたら。」と言われる。そうだ,どこの寺のHPでも行事予定やアクセス案内が出ている。
新タマネギ。スライスしてカツオ節に醤油。美味美味。そして,小アジもいただいた。唐揚げにしよう。どうしても酒のつまみになる,ならんで頂き物を測ってしまう。
今年も白い花をつけた小手毬。| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
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