2008年03月29日

折り菜

08.3.28.jpg  昨日は,雨模様ということもあってか,何人かの門徒さんの来訪を受ける。その中に,茹でた折り菜があった。そして,わさびの花のお浸し。長野県は安曇野に勤務していたとき覚えたあの味。あのころ春先の得意料理だった。密封容器に入れて熱湯を注ぐ。ピリリとするこの味だ。
 そして,皮をむいたからと戴いた里芋を煮て,これまた,戴いた生椎茸を焼いて,それにサラダ。何だかご馳走攻めの一日だった。
 折り菜が敦賀でも植えられていることを知って,「ちょうだい。」とおねだりしていたのが実現。歳をとると小さいころ覚えた味覚が何よりのご馳走になるなあ。
 好きな番組が終わってしまった。「これから,どねしょ。」
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2008年03月28日

寺の掲示板

08.3.27-2.jpg  4月の掲示板を作る。ついに,寺の掲示板にまで。
 先日,友人と飲んでいたら,友人曰く「HPの表紙に,私は「小寺」に入寺しました,とあるけれど,寺に生まれた人が言う「小寺」と,入寺したもんが言う「小寺」とは,意味が違う。決してへりくだった表現にならん。」と指摘された。
 「価値ある自分」を追い求めていた人生をやめたつもりだったが,何気ない文章の中に自分の高慢が顕われていたのだ。HP開設以来3年間も,それに気づかず平気な顔して世間にさらしていた。どこまでいっても,「自分はそれなりの男」と自分で自慢している。
 ついに,今日,若狭が「脇役が,人生のなりたいもん」と気づいた。スポット当たるもんだけが主役じゃないと。
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2008年03月27日

アホな

08.3.26-2.jpg  昨日,電車の時間までの暇つぶしのつもりで本屋をのぞく。すると例の「ちりとてちん」のノベライズ本が横積みされているのを見つける。その手の本が発売されていることは知っていた。だが,僕はストーリーを楽しんでいるんではないし,画面に現れる珠玉のセリフにはまっている,ツモリだった。のに,気づいた時にはその本をレジに差し出していた。
 そして,あと残り2回のラストを早速読んでしまう。当日の放送を心待ちにしていたら余程いいのに,何てことや。読み終えて,シマッタと思う。せっかちな性格が折角のラストの放送の感激を薄めてしまっている。でも,ノベライズ本でも,泣いてしまいました。
 そして,「茶色いオカズ」のニュアンスに,参ってしまう。毎日の「茶色いオカズ」の積み重ね。それって聞法生活と一緒じゃないか。
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2008年03月26日

胸さわぐ

08.3.25-2.jpg  突然の案内状が。現職時代の同期生から「ほとんど退職してしまったから同期会をすることにしました。」そして,「長年の労苦をお互いに慰労したく。」とある。
 退職して,空寺に入り,今の生活がある。門徒のみなさんの笑顔をいただきながら,自分なりに懸命に生きているツモリ。でも,この案内状を目にしたとたんに,心の平静が乱れてしまう。今の自分が,同期生たちを前にそれがどんなものなのか,顕われる。そんな気にもなる。この歳になってなお,それだけ自意識過剰ということか。
 現職時代に,同期生として争い,頼りにしていた特別な思いがよみがえる。出席しようかどうしようと思いながら,どこかでキット出席するだろうなあと思う。そして,今の自分をそのままさらけ出すしかないか,と思う。
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2008年03月25日

洛都の儒林

08.3.24-1.jpg  敦賀市内のあるお寺の紅梅を撮影させていただく。
 あるテレビドラマの掲示板やユーザーレビューなどを読みながら,何故か「洛都の儒林」というフレーズを思ってしまった。クイズ番組ならば,教養の程度や賢さを競うものだろう。でも,ドラマの感想を書くページにまで,教養や賢さを競う場所になってしまっているような気がしてしまう。素直な感想や感謝の言葉って意外に少ない。私の生きている世間は,それしかモノサシがないのか。匿名の書き込みにまで,その争いに終始してしまう,そのエネルギーのスゴサみたいなものを今更のように感じる。
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2008年03月24日

彼岸会法要終える

08.3.23-1.jpg  彼岸会法要2日目。
 「罪悪深重煩悩熾盛の衆生」を語っているうちに,自分でも何を言っているのかワケが分からなくなる。話し終えて「お華束のお下がりを」と供笥を手にしたところで,ある総代が「ゴエンさん。恩徳讃は?」「あっ。忘れてた。」
 片付け済んで,五条袈娑をたたみながら,「大威儀がほつれてしまっている。」と言うと,「すぐ直してあげる。」と言われる。こんな調子で,皆さんに支えられて彼岸会を終える。
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2008年03月23日

彼岸会第一日

08.3.22-2.jpg  昨夜は,春の彼岸会の第一日だった。一家で何人かがお参りしてくださる方が何軒か。確か入寺当初は,一軒に一人お参りすればいいといった風潮があったような気がするが,それが今はご夫婦でのお参りもある。ありがたい。嬉しい。
 お話はヤッパリ「ちりとてちん」になってしまった。無間地獄は孤独のことなどと話していたのだが,つい,先週のドラマから,志のあるもの,願いのあるものが歩みだすと,必ず友達ができ,応援団が現れる。それが,本当にありがたいと思える,と自分に置きかえながら話しました。
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2008年03月22日

今日から彼岸会法要

08.3.20-4.jpg  今日,明日と春の彼岸会法要だ。あと,お仏飯とろうそくを準備すれば完了のはず。そうだ床屋にも行こう。
 「へたれ」の喜代美に共感し愛していたのが,随分立派になってしまって,何だか遠くに行ってしまったような気分に襲われる。
 それにしても志を持ってまい進すると,必ず友や応援団が出来ることを今更のように感じる。募財にしても,お別れ落語会にしても,まるでこの世のものとは思えない。やはり夢物語なのだ。その素晴らしさに胸が一杯になる。あこがれる。録画を再生して夢の世界にまた浸る。
 
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2008年03月21日

「悲愴」

08.3.20-1.jpg  新しい家族。比較的飼いやすいと言われているオランダを初めて買う。
 昨日は,彼岸会法要でのお話のレジュメを作る。彼岸会法要は自分でしゃべらなきゃいけないのだ。つい,「ちりとてちん」を話題にしてしまいそうだ。2日目は歎異抄第一章に挑戦しよう。
 午後から夜までテレビにかじりついて,ベルリンフィルを観る。気に入った曲を録画することを企てた。だから目が離せず,トイレの時間も気が気でなかった。フルトベングラー,カラヤン,アバド,そして小澤征爾。特に最後の「悲愴」を胸はずませながら聴いた。
 出身の寺から「彦根城の花見いかが。」との誘いの電話を頂戴する。これも楽しみ。
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2008年03月20日

ぼたもち届く

08.3.20-2.jpg  いつものMばあちゃん。「お彼岸の中日やね。」「うん。」「ぼた餅,作ったから。おいしないけど。」「うわあ。ありがと。」ちょっぴり塩味のきいたぼた餅だ。おいしい。
 別のFさんから電話。「彼岸の中日やな。何にもせんのか。」「うん。隣の寺が彼岸会だよ。」「そうか。何にもせんのか。」「うちは,22,23日に彼岸会法要するで。」「そうか。」
 どうも,彼岸の中日というのは,どうやら特別の日らしいのだ。そのニュアンスがもう一つ自分には分からない。むしろ何の予定もない空白の一日。こたつにもぐって,本を読むかテレビを見るか。ダラダラの予定しかない。
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2008年03月19日

方便

08.3.19-1.jpg  春の彼岸会法要に備えて,O責役が打敷を掛けに来てくださった。それが終わると,「ちょっとキュウイを剪定する。」と言って裏の畑に。「時期が遅いから半分にしておきます。」と。写真の左半分をすいてくださる。
 昨日は,いつもの勉強会。十九願,二十願を教えていただく。その席で「方便」の話題が出る。「勧進引導の方便というも方便即真実なり。」「真実をはなれて方便というものはなきなり。」と教えていただく。
 そして,お内仏の給仕について,話が広がり,語り合う。
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2008年03月18日

雪つりを外す

08.3.18-1.jpg  昨日は,責役が知らぬ間にソテツの縄を解いてくださった。そこで僕は裏庭の雪つりを外す。ホントにこの2,3日の暖かさは,これまでの冬を忘れさせてくれる。HPの表紙も雪景色では似合わないので,昨年の報恩講の内陣にかえる。タイヤも夏タイヤに履き替える。
 真宗門徒は,ほんの一握りのマイナーな存在だ。けれど,交際範囲が限られてしまうので,自分の志向が他の人から見ると奇異な存在ということすら忘れてしまう。年忌法要の場などで一般論として語られる他の宗派の常識が僕にとっては,返答に困ってしまうこともしばしば。法然上人や親鸞聖人が御苦労された,そのことが今なお,形を変えて提示されているような気がする。「淨土というは他力なり」最近,目にした言葉。しばらく,このことをかみしめて生きたい。
 
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2008年03月17日

あっ,財布が

08.3.17.jpg  スーパーのレジで支払いをしようとすると,いつもの巾着袋に財布がない。「そんな,バカな。」そう言えば,まず先に,地元の郵便局でATMに入金した。早速,電話帳を借りて番号を探して電話する。先方も財布を届けられて,僕の忘れ物と分かっていたようで「はい,届けられています。」と。ヤレヤレ。
 現金はもちろんだが,キャッシュカード,クレジットカードに免許証,保健証,保護司証,診察券に名刺など果ては献血カードまで。娑婆で生きるためのすべてが入っている。それにしてもこの忘れ物は情けない。誰か友人が「忘れ物は見つかったときの嬉しさを教えてくれる。」みたいなことを言っていたけれど,「どうしよう。」と肝を冷やした。あーあ。
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2008年03月16日

それがオモロイ

08.2.28-1.jpg  草若師匠の襲名騒動で筆頭弟子の草原の言葉。「襲名の話が出た時,キタッ!と思った。が,何であの地味なキャリアが長いだけの,華のない草原が継ぐのかと言われるのが恐かった。だから,二番弟子の草々にと言った。でも,言ってからクヨクヨと悩んだ。それがしんどかった。でも,それがオモロイ。」と言って告白する。
 別に,名利とか愛欲とか,煩悩などという仏教用語を使わなくていい。ホンマの自分の姿に出会ったとき,オモロイと思える。「しんどい」とオモロイがいつも対になっているのだ。 オモロイが僕には「南無阿弥陀仏」と聞こえる。
 そして,草々が「もしかして20年間,小草若を傷つけつづけてきたかもわからへん。」に四草は,「わからへんかもではなく,傷つけてきた。」と傷に塩を塗る。これが友の言葉なのだと思う。気休めを言わないで,真実を気づかせるのが仲間なのだ。ホンマにオモロイこと(真実)を求める者だけに与えられるプレゼント。
 蓮如上人御影堂中の先導されている老僧のお話をコピーした。配って有縁の人に読んでもらいたいと思った。先日導入したコピー機が初めて活躍。
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2008年03月15日

人として生まれたことの悲しみ

08.3.14.jpg  少し体調不良を書いたら,メールや電話,コメントなどでお見舞いをいただく。葛根湯のドリンクも飲んだけれど,これらのお見舞いの声で,元気回復。一番の薬は,何のことはない,こういう方々の声掛けだったりして。
 福井へ恒例の歎異抄のお話を聞きに行く。そこで,思いがけない方が。蓮如上人御影堂中の御下向時に先頭に立って「蓮如上人様のお通り!」と呼びかけられている僧のお話が30分。前に講話録を読ませていただいて感銘を受けた方だ。読後感そのまんまのお話だった。お話を聞き,再度,その本を読み直した。
 歎異抄の厳しいお話を聞いて,「人として生まれたことの悲しみ」を嘆くとき,どこかで自分はそんな人間ではないという,少しはマシでいたい自分を盛んに思った。先生の「助けてくれ。」の言葉がズシリと響く。
 お話の最初,「聴聞しようとすること」そこが,帰るべき場所とおっしゃった。
 午後,ある会議に出た後,花屋に寄って,小手毬を求めました。
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2008年03月14日

ふるさと

08.3.8-3.jpg  体調不良が続いている。朝から胸がむかつき,吐き気もある。その中,地元の小中学校の卒業式と近くの集落の老人会総会をはしごした。
 老人会総会でいただいた幕の内弁当の袋。中に黒糖菓子,プリンに竹輪,さつま揚げ,それに缶ビールなど盛り沢山のお土産。それを前に何も食べず一日を過ごした。 
 そして,卒業式の感動や老人会総会でのおしゃべりを振り返る中で,盛んに「ふるさと」というフレーズを思った。帰るべき場所を見失い,孤独で仲間がいないのが,無間地獄なのだ,と言った。帰るべき場所,自分が自分に戻れる,落ち着ける場所。それを見失って,あっちこっちウロウロしているのではないか。そんなことを思いながら,夕食に鍋焼きうどんを作って半分おそるおそる食べてみる。
 「徒然亭の落語を伝えて行きたい。」この一点に懸命になっているアホな弟子たちをまぶしく見つめる。そして,僕の帰るべき場所どこなのだ,そして今どこに立っているのかを問う。
 
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2008年03月13日

今年もマナ

08.3.12-1.jpg  今年もマナを頂戴する。生まれ育った飛騨のオリナに食感がよく似ている。早速,おしたしに。懐かしい味が口の中によみがえる。
 一昨日行った九州での会話。「味噌汁は八丁味噌ばい。」長兄が九州に住みながらも八丁味噌にこだわって,家族もそれに合せてくれていたらしい。
 僕は今でこそ,一人暮らしをしているから,ふるさとの味を探すこともあるものの,これまで,生まれ育った土地の味覚を家庭に持ち込んだことはなかった。こだわることもなかった。
 昨日は久しぶりに長浜へ勉強会に。帰宅した直後,吐き気に襲われる。どうも,風邪をひいたようなのだ。あわてて布団に潜り込む。今日は少し多忙で病気になんかなっていられない。
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2008年03月12日

長兄の満中陰

08.3.10-2.jpg  長兄の満中陰法要で,九州まで出かける。本願寺派の法要に合せながら,何とか終えたのだが,お内仏にもお参りしてほしいと言われ,お邪魔する。そこに姪から贈られたという花が飾られてあった。
 13回も転勤し,それぞれの土地でそれなりにその風土にあわせてきたつもり。適応力はあると思っていたのだった。のだが,方言も分からない。懸命におもてなしをいただいたのだが,違和感に襲われ,早く旅館に帰って風呂に入りたい,温泉に浸かりたいとばかり思っていた。
 そして,帰路,湖西線に入り,見慣れた景色に安心する。自分は,もう,ここにしか住めないのかと思う。
 佐賀の嬉野温泉で見たテレビニュース。警察署長が部下の結婚式で,臨席の女性のスカートの裾を引っぱって解職になったという。
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2008年03月10日

過疎地の子育て

08.3.1-2.jpg    「育みの会」と称する地元小中学校の子育ての会合で,話題提供ということで,最初に少しおしゃべりする。昨日は,「ちりとてちん」から話をする。
 キーワードとして,「お母ちゃんみたいになりたくない。」と「なりたいもんになる。」の二つのセリフから,自立の課題みたいなことを話す。
 そんなことを語る必要もないくらい,皆さんがいろんな話をしてくれる。でも,過疎の問題となって,この小中学校がいつまで続くのかという本音の話になると,僕はただただ聞くしかない。親の立場になると切実で,少人数の家庭教師のような学校で子育て大丈夫?となる。子育ての当事者と僕のような空理空論では,切実感がまるで違う。
 
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2008年03月09日

夕日を浴びる伊吹山

08.3.8.jpg  昨日は敦賀市内の門徒さん方とバスで長浜別院へ向かう。この写真は帰路の道の駅から写す。
 本堂の掃除や諸殿拝観。そして,お話を聞いたり,ビデオを見たり。座談会も少し。そういったプログラムをこなすうち,何も感動しなくなってしまっている自分に気づく。折角のご講話も,空々しくて自分の胸に届かぬもどかしさみたいなものを感じてしまう。
 文化財にもなっているお堂に身を置いても,それを尊び,有り難いと思えぬ不感症の自分が気になる。 ご一緒した門徒さん方と感動や思いを共有したいという気持ちばかりが先走っているような気もする。
 朝ドラのような,いってみれば嘘八百の言葉の方が心を動かされ,真実味を感じてしまう。これは重症だ。
 これから始まる「推進員養成講座」と称せられる講座。みなさん方と思いや感動をどれだけ共有できるか。共に学ぶことができるか。
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2008年03月08日

914

08.3.7-1.jpg  昨日ある会合に出て窓から見える山,「あれ野坂山。何メートルか知っている?」「??」,「郵便番号と同じや。」と知らされる。こんなに海沿いなのに,高い山があるというのはいかにも敦賀らしい。
 「ウソはほどほどに。ほんまの気持ちがほんまの気持ちにさせてくる。」こんな珠玉な言葉を交わせるような場に生きていたい。
 昨晩は,いつもの婦人会のお勤めのお稽古日。本山から750回忌のために発行された『同朋唱和勤行集』を来月からのテキストにしようと決まる。
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2008年03月07日

おあたえ

08.3.5-1.jpg  「濁悪邪見の衆生には 弥陀の名号あたえてぞ」(『弥陀経和讃』)
 心の中で,自分で念仏して,弥陀の救いをいただく。そんな思いから離れられない。そのために努力して念仏を称えなきゃ,などと思っている。そうではない。お念仏申せることが,実はお与えなのだ。先日あるお宅の年忌法要で「目をつむると,お日さんが見えない。」などとしゃべってしまったが,目をつむろうが開けようがお日さんはずうっと照らしていてくださる。肩肘はらなくていい。そのまんまでいい。それなのにマシな自分を演じようとしてしまう。
 はまっているドラマに「なりたいもんになる。」というセリフが盛んに出てくる。よい子を演じていたエーコや正平が,今つまづいて,苦悶している。そして,一見「何になりたい。何をしたいんか。」を問うているように見える。でも,そうではない。今ある自分を,落在せるものといただけること。目標をもって懸命に生きる姿は美しいように見える。ムロンそうなのだが,でも,今ある自分をきちんと抱きしめること。それが健気なものと思う。小次郎は小次郎でいい。「アホなもんが懸命に生きることほどオモロイものはない。」
 今日は,木曽山くんの邪見驕慢が破れました。本当に目を離せない。
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2008年03月06日

もどり寒波

08.2.12-4.jpg  何日か暖かい日があった後にやってくる寒波の冷たさは身に染みる。本当に寒い。
 けれど,これが最後かなとも思う。春を待つ気分って悪くない。でも,春は来るのかという不信もある。
 ドラマのセリフ「着るもんも,身の振る舞いも,身の丈に会うたもんを身に着けていかなあかん。」こんな言葉にはまってしまう。
 でも,この寒波は,寒すぎる。
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2008年03月05日

珠玉の時間

08.3.4-1.jpg  昨年,瀬戸内海の生口島を訪れた時にお世話になった方からメールを頂戴し,その中にこの写真が添付されていた。
 念仏停止の法難は,「在家止住」のままに念仏するという課題もあったような気がする。
 入寺して3年目。退職して生き直しを志向していたような気もするが,実際は過去のしがらみやグチャグチャした思いをそのまんま抱え込んで,そこから逃れることもできず,新生活を始めていたんだと思い直す。
 過去に執着することほど見っともないことはない。そうは思っても,昔の仲間が訪問してくれるとなると,体中が反応して元気一杯になる自分を抑えきれない。訪問してくれた仲間との一瞬一瞬が珠玉の時間だった。これを煩悩成就と言うのか。
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2008年03月04日

若狭散策

08.3.3.jpg  前の責役の「ぼたん鍋食べに行こう。」のひと言に,「いいですねえ。」と応じた。ついて行くと,まず,小浜市内の明通寺,神宮寺,羽賀寺を参観する。それぞれの寺で説明を受けながら,こんなに国宝があるんだと驚く。その後,名田庄村(京都府との県境)にある蓮如上人ゆかりの湧き水に案内される。すぐ横にお寺がある。どうも大谷派の真宗寺院っぽいのだが,雪囲いに埋もれて参拝できなかった。
 写真は,前日に「お水送り」の行われた鵜の瀬というところ。例年3月2日の夜,東大寺二月堂の「お水取り」にあわせて「お水送り」の行事が行われる。その片付けの最中を訪れる。
 名田庄で「ぼたん鍋」。何十年かぶりで,ご馳走になる。柔らかい猪肉に舌鼓。一人当たり200グラムというけれど,一番若い僕が随分沢山,たっぷりご馳走になる。
 今度は,ここに誰かを案内しようかと思いながらついて歩く。
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2008年03月03日

名残り

08.3.3-2.jpg  来客が帰って,布団がきれいに積み上げられているのを見る。二日目は,僕は法事と会合が予定されていて,お朝事を一緒したほかは全く放り放し。色々一緒したかったのだけれど,お相手できなかった。それが心残りなのだけれど,来客は別に僕が相手しなくても構わなかったのだろうと思う。僕の方が執着しているだけなのだ。
 今の生活は,安定していて,何事も起こらない。けれど,少しの風で,僕は平静でいられない。
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2008年03月02日

さわやかな風

08.3.1-1.jpg  前の職場の仲間が,来てくれた。「精神修養に来ました。」と笑いながら言う。海の色や山並み,雪景色に温泉。そんなものが都会の皆さんにはとても喜ばれる。おしゃべりの中で,現役世代のそれぞれが抱える問題のようなものを懸命に生きている若者たちをまぶしい思いで見つめる。
 昨晩は遅くまでおしゃべりしていたのだけれど,今朝は7時に皆起きて,お朝事に座ってくれる。「僕も退職後は坊さんになろうかなあ。」の言葉が耳に残る。
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2008年03月01日

恩徳讃

08.1.10-3.jpg  昨日は福井別院に毎月のお話を聞きにいった。ところがご講師が入院されたという。インフルエンザとか。急きょ,代役を引き受けられた先生の御苦労がうかがわれた。
 その席で,二人の方の感話を聞く。たまたま僕の隣の方の感話。「滅多に泣くことのなくなってしまった私が,恩徳讃を唱和して涙が出た。むかし両親の唱和していた声を思い出したのだと思う。」と話されて,これが真宗の土徳なのかと思ってしまう。
 土徳という言葉すら最近は聞かなくなってしまった。念仏の伝統ってどこにいってしまったのか,などと感じることが多かったが,それだけに感じ入ってしまう。「その流れの中にいる。」のセリフをかみしめる。
 
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