朝から責役2人が来て,迎春準備。打敷を掛け,お華束を準備して,参詣席の椅子を並べる。明日の修正会の準備も出来ました。これで,正月準備も完了しました。
昨日,ヴァイオリンの神尾真由子の密着テレビを見ていた。今年1年クラシック界で最も話題になった人。その彼女の言葉「包み(包装紙)で判断する人は苦手。」という。21歳の子にして,こんな言葉が出るのかと驚きながら,21歳だから言えるのかとも思ってしまう。その番組の中で,実家での盆法要のシーンがあって,そこで画面に出てきた坊さん。神尾真由子もチャイコフスキー・コンクールも知らない。豊中市では昨年結構話題になった少女と思うが,「何で知らないのか。」と思い,次に世事に無関係な僧侶もありかと思い直す。
昨日,正月用の仏華を活けたのだけれど,どうも花材が足らないような気がしていた。いつも目の前にある花材で済ますのだけれど,布団の中で「そうだ裏の竹を切ろう。」と思いつく。夜の明けるのを待ってパジャマの上にカッパを羽織って切り出す。そしてそのまま本堂へ。このせっかちで思いつきで動く性格何とかならんか。
僕の敦賀の寺も長浜教区に所属している。その長浜教区の教化テーマが「淨土の家族」。分かるようでもう一つハッキリしないと,先日も研修が行われた。
2年ぶりに姪夫婦がやってきた。「この晴れ間,大掃除のラストチャンスやけど,来てしまった。」という。相変わらず元気そうだ。この仲のよい夫婦を見ると,お互いをなんなく受け入れ,それぞれを認めあっている空気が,心地いい。活発な姪と優しいご主人。こんな夫婦もあるんやなあとうらやましくなる。
(写真は東大谷祖廟)
ここ十数年クリスマスプレゼントとは無縁の生活をしていた。ところが,昨日思いがけず参詣席用の椅子10脚をいただく。嬉しい。欲しかったのだ。思わず「クリスマスプレゼントやな。」と言ってしまった。これで,椅子席で多くの人が座っていただける。
北陸の冬は,晴れ間が貴重だ。昨日は風は強いものの久しぶりに晴れる。今しかないとハラン(バラン)の刈り込みをする。ある総代に「全部刈りとったら。」と言われ,昨年刈り込みしなかったハラン全部を刈り取ることを企てていたのだ。風でテゴ(ガーデンなんとかという商品名の刈り取った草などを入れるもの。)が動かないように,足で端を踏みつける。
ご本尊の足元の須弥壇が,お経にある須弥山だったとは。今ごろそんなことを知る。そういう基礎的な知識に欠ける。
昨日といい,今朝といい新聞が重い。広告の紙が分厚い。そうか,年末の連休で,小売業の正念場なのだ。スーパーとか電気店の広告が多い。好景気の実感がないといわれながらも,年末だからそれなりにお金が動くのだろう。
昨日の夕方,いつものMばあちゃんが「明日は冬至やろ。」と言ってカボチャの半分を持ってきてくださる。
何気なくテレビを見ていたら,千住真理子さんのインタビユーをしている。彼女ががホスピスで演奏をしているとの話題から,聴衆の心を受けとめる。「じわじわと自分の皮膚の中に染みていく。」「演奏しながら逆に私の方が慰められている。」と語るのを聞いて驚く。
(鍋の具材は全ていただきもの)
これはおいしいと言われるヘシコをいただく。
N先生から菓子器が届く。清水焼だ。嬉しい。寺は,こういう菓子器を結構使う。それをよくご存知だから,この贈り物になったと思う。
毎朝見ているドラマ。こんなセリフに出会う。師匠が弟子に「落語のテープ聞いてて,落語のハラわかるか?落語いうもんは,人から人へ伝わってきたもの。これからも伝えていかんならんもんや。」
ノースポールを植える。来春が楽しみだ。
昨日訪れてくれた友人が「あらユリが咲いている。」と境内のユリを見つける。そうだ,何で12月にユリが咲くのか。ほかにも一輪咲いている。いつも咲く鉄砲ユリの小型版だ。
「10脚あるはずだけど。」「いいや,入寺以来5脚しか見てない。」「だって,寄付した本人が10脚って言ってる。」
このところの連日の降雨で,真冬なのに境内に小さな雑草が生えてくる。あちこちに顔を出す。寒さに震えながら草抜きをしなければならない。天気予報では,まだまだ雨が降るようだ。そして週末からは寒波がやってくるという。
40数年前,学生時代。下宿の壁に,この興福寺の仏頭の写真を張り,眺めていた。僕にとっては美の原点のようなもの。ふとしたことから,このことを思い出した。
昨日は,午前中は年末のオミガキ。バケツに移していた花材を花瓶に戻し,急いで越前町へ買出しに走る。
今年は,何故か鳥に食べられることなくまだまだ赤い実をつけている。この調子だと正月の仏華に使えそうだ。
雨が上がるのを待機していた。今年もソテツの冬支度。下のほうは難なく縛れたのだが,脚立に乗ると力が入らない。「よし。」「ああ,こわい。」と一人で気合いを入れながら挑戦。まず,二つに分けて縛り,それを別のロープで一つにまとめる。
瞬時の晴れ間をぬって,海岸に走り海水を汲む。週末来訪予定の友人たちのための海水を確保する。基本的に僕は人に会うのが好きなのだと今更ながらに想う。少年院という職場,そして第二の人生が寺の住職。そうなのだ。そして今も一人住まいなのだけれど,それだけに人を待つ楽しみがふくらむ。沈思黙考などとはほど遠い,オシャベリ大好き人間なのだ。
クリスマスのイメージが強くて,寺の玄関には似合わないなと想いつつも衝動買いしてしまう。どうも僕は「赤」が好きらしいのだ。シクラメンもビオラも赤を最初に買うし,チューリップの球根さえ赤を必ず植える。「清楚」とか「かれん」という言葉は大好きでよく使うものの,どうやら根っ子部分で,毒々しい,そして,燃え盛る(煩悩)ものを抱えているせいか。
少し早いと思ったが,雪降ってからでは遅いと冬タイヤに履き替える。整備士から「オイルも交換しましょう。」と言われる。この間の定期点検で交換したはずなのに。「メーター見ると,とっくに越えています。」と。
ドン,ガラガラと鳴り響く大雷鳴で目が覚める。雪起こし到来だ。そろそろ冬タイヤに履き替えなければ。蘇鉄も縛らなければ。天気予報ではみぞれ混じりの雨とある。でも,それより北陸特有の強い北風の方がすごい。この断続的な強い雨風は住んで見なくては実感は分からないだろうなあ。年賀状も始めなくては。
いつものことながら,お客を残して僕は早々にベッドへ。朝起きてみてビックリ。皿などがきれいに片付けられている。還暦過ぎのオジジたちの誰が片付けしたのか。
昨年11月に40年ぶりに再会した大学剣道部の同級生たち。今年は越前ガニを食べる会をしようと,そして僕が入寺した寺を見てみたいというので,我が家に集合。
今日からガソリンの再値上げらしい。軽四なのに,僕のマイカーの燃費は悪い。リッター12キロぐらいか。過疎に住む者にとって,車は命の綱なのだ。そして,灯油も。使用時間は少ないけれど寺というのは目茶ストーブの数が多い。あちこちに半分ずつ給油しても,あっという間にポリタンク何本かが空になる。これだけ大変なことなのに,どうして,マスコミは騒がないのか。少なくともつまらぬ謝罪会見よりも切実なニュースと思うけれど。