2007年10月31日

極楽!極楽!

harmony1.jpg  (写真は,一昨年のもの)
 夜,また福井市内へ。チャイコフスキーのピアノコンチェルトを聞く。ピアノと各楽器との掛け合いと言うけれど,まるで果し合いのような激しいやりとり。あのきゃしゃな身体からどこにそんなにすごい感情があるのかと驚く。右側の1階席だったから,ソリストの表情が手に取るように見え,渾身の演奏を目でも楽しむ。実はこのソリストの演奏は今年2回目。前回のモーツアルトとは随分違うなあと思った。
 最近,分不相応の望みを持つことは,当然,あちこちに無理が生じてしまうと思う。身の丈にあったものとはよく言ったものだとしきりに思う。そこに落ち着くまで,しばらくガタガタするかもしれない。
 さて,今週末の報恩講にチャンネルを切り替えないと,準備が間に合わない。
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2007年10月30日

助けてくれ!

07.10.30-1.jpg  今夜,出かける予定があったので,どうしようかと迷いつつも,朝から福井市内まで車を走らす。行ってよかった。
 末法は「無信の時」と語られ,「教えはあるが,それを信じ,本気になって求める人がない。」「どうにもならない」ときに,「助けてくれー。」それが宗教心,求道心なのだと。その求道心が本願にうなづくことと語られた。
 歎異抄の「回心」が講題だったと思うが,親鸞聖人29歳のときに「雑行を捨てて本願に帰す。」それが,また,85歳の夢の正像末和讃「弥陀の本願信ずべし」なのだと語られた。つまり,「往生とは,生涯聴くこと,仏法に遇うこと」と言われた。
 そして,中途半端な信心に酔っ払っていてはいかんとも。
 ぎょっとする思いでそのお話を聴いた。
 今朝も血圧の薬を飲むのを忘れた。一つのことを考え出すと,他を忘れる情けない悪癖が現れる。
 
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2007年10月29日

「仏法を求める心」

07.10.29-1.jpg  おそれを知らぬというか,昨日の講題だ。このところ,法然上人と明恵上人の論争を教えていただいて,「菩提心」について考えることが多かった。
 成仏を願うどころか,救いさえ求めない日常というようなことを話してきた。
 手土産で頂戴した日本酒のほかに,お仏飯があった。お仏飯をお参りした人にお分けするんだ。そういう慣わしがあることを知る。
 帰宅して,録画予約していた番組を再生する。「渡辺貞夫と子供たち」だ。先週見て,今週も是非見たいと思って予約していた。リズム感と圧倒的なボリュームの合唱と太鼓。すごいすごい。何度も繰り返し見直す。
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2007年10月28日

自分が正しい

07.10.23-1.jpg  地元の小中学校で行われたゲートボール大会を終えて寺に戻るとすぐに電話がかかる。出てみると,来月予定しているある高校からだった。教職員研修の講師を頼まれていたのだ。講題を問われ,研修内容について問われた。僕のHPを見ておられるということで,教職員の教育観の対立などについても話してほしいとの注文がついた。
 電話を切るなり,退職前のあの何とも言いようのない葛藤を思い出し頭の中がグルグルになる。
 自分が正しいものを立てると他を排除し,自分の思いを受け入れぬ人を排斥する。そんな地獄のような日々を昨日のことのように思い出す。そして,今でも自分を正しいと思い,それを支援してくれなかった上級機関をうらみに思う自分がいる。自分の我を通し,価値ある自分を認めることだけを追い求めていた。「仕事をするな。教育は部下に任せよ。」に「では辞めます。」になった。
 実は,今日ある寺で報恩講の法話を依頼されているのだけれど,それよりも,来月の教職員研修で頭の中がグルグルになってしまった。
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2007年10月27日

〇番ゲート通過!

07.10.19-1.jpg  昨晩は,「三心一心の義相」ということを教えていただいた。特に,「欲生我国」といわれる「欲生心」を「如来のたすけばやと思しめしたまう招喚なり」と教えていただいた。その余韻を味わいながら,来月の掲示板を考える。「気づけたのは 自分の力ではなかった」みたいなことを書こうと思った。
 今朝は,朝早くから地元の小中学校で地域学校協議会のゲートボール大会。そして児童たち丹精のカボチャやサツマイモの収穫祭にお相伴する。
 僕はゲートボールは初めてだったが,小学生から80何歳までが一緒に楽しめることを知った。ゲートをボールが通過する時の何ともいえない快感。誰もが笑顔になる不思議。
 小学低学年の児童が,中学生のお姉ちゃんたちにまとわりつく,甘える風景を見て,小規模校の好さを今更のように感じた。
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2007年10月26日

長浜別院報恩講

07.10.25.jpg  長浜別院の報恩講にお参りする。隣寺の同行と一緒に記念撮影。
 昨日は,朝早くから一日,長浜別院の報恩講に。音楽法要の最中に到着し,演奏者の方々にはご迷惑をお掛けしたかもしれない。そして,午後は,大逮夜での大勢の法中による法要,つまり楽と真四句目下げ,五淘の念仏和讃による法要にあう。キーが僕には高音で一緒にお勤めすることが出来ない。それでも懸命についた。いつかは,自分の寺の報恩講でも,このお勤めをしたいとも思った。今は,皆で一緒にお勤めすることを優先する。
 法要の中で余間(内陣の横の席)に出仕している二人の教務所の職員が白色の裳付を着ているのが目に入った。昼の休憩時間にその人と顔を合わせた。「白色,目立っていいねえ。」と声を掛けると,「いや座次が。」と。
 法要座次という名の,着衣に制限がある制度。白色がいいと思うのは僕だけか。
 帰路のバスでは,総代が買ってくれた缶ビール飲みながら帰りました。
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2007年10月25日

ミケランジェロ

07.10.23-3.jpg  大塚国際美術館。最初の展示室の巨大な壁画の一部。絵葉書を買ってきたのでそれをアップする。
 
 昨日の午後,何人もの訪問を受ける。それぞれ「いつ来てもオラン。」と。何度も足を運んでいただいたようだ。
 そう言えば,今月は日程が一杯詰まっている。特に週末は予定で外出ばかり。先日の湖北町の報恩講で2日間,その直後,旅行で1泊2日。昨日の午前は学校の草取り奉仕作業。実は,今日も終日長浜別院なのだ。そして明日は彦根,明後日は学校で地域学校協議会主催のゲートボール。その次の日は敦賀市内での報恩講。それが終わるとようやく自分の寺の報恩講スタンバイとなる。
 そんな日程の合間を縫うようにして,婦人会の方が本堂の向背(正面)周りをワックス掛けしてくださる。卵を買いに車に乗ると「また,どっかへ行くのか?」と声を掛けられる。「いや,コンビニやコンビニに行くだけや。」などと弁解する。
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2007年10月24日

触光柔軟

07.10.23-2.jpg  旅の第一は,同道する方々との相性だろう。この仲間の自制的でしかも,適度に気さくな雰囲気が旅を楽しませてくれた。旅行中,笑顔が絶えなかった。なぜか「触光柔軟の願」を思った。この仲間の中に浄土宗の僧侶が3人もいて,親しくなれたのも収穫だった。
 鳴門のうず潮。橋の上からガラス越しに下を眺める。高所恐怖症の僕にはかなりきつい企画だった。下を見ることなしに何とかついて歩き通した。汗びっしょりだった。
 続いて訪れた美術館では,ミケランジェロの大壁画の迫力に肝をつぶした。複製技術に感心し,その規模の大きさにも感心した。それにしても,初日に見学した施設のおざなりな応対ぶりが,元職員としてとても残念。「透明性の確保」と言われながらもその体質はまだまだだ。
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2007年10月23日

初めての徳島

07.10.22.jpg  1泊2日の旅行に行ってきた。初めて徳島を訪れる。宿の余興として,女将はじめ宿の皆さんの阿波踊りの実演を見る。テレビなどで見てきたが,実物のリズム感というか,はじける感じが何ともイイ。
 男踊りもよかったが,おんな踊りの裾のゆれる様子が,何とも艶っぽい。そう言うと,一緒した昔の娘さんたちにもウンウンと同意してもらえた。
 そして,皆で阿波踊りの手ほどきを受けたが,老化は足から来ますという女将のお話が妙に説得力がある。そして,66歳と言われるまで30代か40代と思って見ていた女将の若々しさに感嘆する。
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2007年10月22日

お講汁

07.10.21.jpg  湖北町のお寺の2日目。お勤めの後,おしゃべりと座談会。ちょうど12時から昼食だった。ご飯とお講汁。里芋やカブを味噌味で煮込んである。報恩講の御満座でお講汁をするのは久しぶりですとのことだったが,とてもおいしくお替りもした。
 お講汁を頂戴しながら,脚とくに膝が痛いのが気になりだした。この二日間,参詣席でのお勤めにも参加させていただいた。そして法話の後に座談会が組み込まれていた。つまり座る時間が結構長かったのだ。とんだところに疲労が。
 昨日は,親しい人に亡くなられて,初めて出会い直すといった趣旨のお話をさせていただいた。
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2007年10月21日

座談会

07.10.20-2.jpg  (湖北野鳥センター)ここを訪れたのは1年前か。琵琶湖の水鳥を観察した。
 まさか,そのすぐ近くの寺の報恩講に招かれるとは。宿泊をお断りしたのは,講話の後自分でクールダウンするには時間がかかると分かっていたから。
 予想どうり。お話した自分の言葉が何度も頭を繰り返す。そして,座談会。これが一番の難物ということも予想通り。沢山のお参りの方々の前で,しゃべり足らなかった自分の予定原稿の補充をしただけ。事前のお話があったせいか,結構,僕のHPを覗いてくださっている方々が多かった。
 いつまでも自分の思いを優先してしまう。明日,イヤ今日の残りを頑張ります。
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2007年10月20日

鮎のひっかけ漁

07.9.19-2.jpg  自分の腸の中をモニターで見ながら,そんなことを考えるなんて。昨日は腸の内視鏡検査だった。ポリープが3つあって,切除しましょうとなる。
 棒の先に針金のワッカが出てきて,突起物にひっかけて絞め取る。カウボーイが縄のワッカを目標物に投げるあの感じなのだ。子どものころ,夏休みになると僕は鮎をヤスで刺していたが,上級者はヒッカケをしていた。棒の先のワッカを瞬時に絞めて鮎を捕まえる。それを思い出していた。「もうちょうと右。そこ。よし今だ。」と,モニターに映る自分のお腹の中のポリープをゲームのような感覚で切除するのを見詰める。一番大きいのは検査のために取り出す。1週間後に検査結果が分かるという。
 自分のことなのに,まるで別の世界の感覚。モニターに映っている腸の内部が自分という感覚はない。痛みとか違和感といった苦痛がないせいかもしれない。わが身の現実がわが身の苦痛にならない。聞法が頭の体操になっているのと同じか。
 それと,この頃少し気になる言葉がある。「要は気の持ちようです。」という言葉。気持ち次第,心の工夫で物事って解決するのか。
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2007年10月19日

苦手な工作

07.10.18-2.jpg  小学校時代。というと半世紀以上前の話だが,図工と音楽が苦手だった。どうも,生まれつきのもののようで努力しても上達しないような気がする。絵は今でも下手。日曜大工のようなことは出来るだけ避けてきた。
 音楽もそう。だからカラオケも苦手。退職してからは,一つ覚えの「銀恋」を選曲して職員のひんしゅくをかうこともなくなった。その代わり今は,声明という厄介なものに直面している。報恩講シーズンで五淘の機会も増える。モツとかノムなどの専門用語,本当はほとんど分からない。
 そうは言っても,法話の講題を掲げる掲示板が欲しかった。カレンダー見て,今日しかやる日はないと挑戦。ホームセンターを何軒かまわり,寸法を測って,切って,貼り付けただけなのだけど,僕にしては「まあいいか」と合格点。ご褒美に,いつもの温泉に行く。それに今日の大腸カメラのために,身奇麗にしておきたかったのだ。
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2007年10月18日

久しぶりのオフ

07.10.17.jpg  (衝動買いした焼き芋なべ)
 朝一番に読経したら何も用事がない。さて,何をしようか。ストーブ出さなきゃいけないし,夏物を一斉に洗濯して片付けなきゃ。掃除機もかけなきゃ。
 そう思いながらも,何もしたくないと友人とおしゃべり。実はこれが一番のリフレッシュかな。雑談の中で,「不器用なようで,実は,そつなく処世する術を身に付けているかも。」と思う。長年の役人稼業の中で,自分なりにはこだわりを持って,生きていたツモリだけれど,それなりに出世もし,それなりに盛り立てていただいた。
 リスタートした今の人生。自分の思いを遂げようとしながらも,結構,かわゆく振る舞う自分がいる。
 雑談から帰宅して,いつものばあちゃん。「気がついたか?」「ううん。」「ほら,3日前に境内の草むしりしといたんやで。」にビックリ。そういえばきれいになっている。ありがとう。そして気がつかなくってゴメン。
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2007年10月17日

仏智疑惑

07.10.16.jpg平日でしかも車でなければ行きにくい別院なのに,境内も自動車で埋まる。毎回,満堂だ。すごいなあと思う。
 お話の最後で,「念仏しながら他力をたのまぬ」とおっしゃる。確か3月の講義でも同じ言葉を言われた気がする。仏法を何か特別のことにしている。実生活や日常の問題を仏法と別物にしていると嘆かれた。
 そして,帰路,車の中で考えたのは,「聖教をよめども,名聞がさきにたちて,心には法なき故に,人の信用なきなり。」だ。
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2007年10月16日

胃カメラのむ

07.10.15-2.jpg  10数年前に胃カメラをしたときは,体中が異物を吐き出そうと反応して苦しかったが,やはり医学の発達はこんな所にも現れているのかさほど苦痛なく終わる。
 「胃の粘膜がただれている。こういうところにガン細胞が出来やすいから年一回の胃カメラをしたほうがいいです。」と言われた。ということは,ガン細胞におかされていないということか。「ヨーグルトを常に食べなさい。」はい。
 明後日は腸のカメラ。頑張ります。
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2007年10月15日

「さらけだす」と

07.10.14-1.jpg  自分の今あるそのままを「さらけだす」つもりで話をしても.話をしながら,途中で「何や単なるひけらかしだ。」と気づく。
 「得度を受けるということは,公になるということです。」と言われた先生の言葉を思い出しながら,しかし,自慢をしている自分と思うと空々しくなってしまう。
 昨日は,珍しく午前に地元の敬老会。午後に敦賀市内のお寺。夜は長浜のお寺。ダブルどころかトリプルだった。こんなことは全く初めて。さすがに疲れました。そして,お話のトーンが法座によってこうも違うのかを実感した。真剣な眼差しや顔つきで,こちらが変わってしまうことを今更のように感じる。
 「仏法なんかイランと思って生きているやろ。」と語られた先生の目の前で,自分なりに懸命に今いただいている仏法らしきものを語る。
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2007年10月14日

落慶法要に遇う

07.10.13-1.jpg  昨日,一昨日と泊込みで友人の寺の落慶法要に行ってくる。得度して日の浅い僕にとって,行儀作法は知らぬことばかり,出来ぬことばかり。そんな僕が手伝うように言われ,前日のリハーサルから教えていただいた。
 作法って,簡単に身につくものではない。教えられたように動いているツモリなんだけれど,何だかどこかぎこちない。所作がスムーズに出来るようになるには,それなりの歳月が必要なんだろう。歳ばかり食っているのに何も出来ない自分を今更のように思う。
 朝早くから正装して,そろいの門徒輪袈裟で集まってくる門徒衆。そして,法中。晴れやかなご住職一家。そんな中で,一日中,本堂落慶のよろこびにあふれていた。そんな雰囲気の中に自分も,お手伝いさせていただいた。
 新築なった本堂を聞法の道場にしたいとのご住職の表白に,その意気込みを感じた。
 記念にいただいた散華の一枚に,昨年旅行した敦煌の飛天をデザインしたものもあった。
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2007年10月12日

えっ内視鏡!

07.9.14-2.jpg  高血圧の薬をもらうために,病院でもらった紹介状を持って開業医に行く。診察室で初めて触診を受ける。お腹を触った医者が「うーん。胃カメラやりましょう。大腸も。」にビックリ。「あのう,病院でエコーもやってもらったんですけれど。」「いや,周波数が違うから。カメラで大丈夫だということを確認しましょう。あとで,実施日時を決めてください。」血圧の薬もらうだけのツモリがとんだところに飛び火。
 家に帰って,開業医のHPを覗いたら,専門が胃・腸の内視鏡とあって,少し安心。
 今朝は,寒さで目を覚ます。押入れから毛布を取り出して布団の上に掛ける。とたんに布団の中が暖かくなる。スースー,外から入っていた空気が押さえられて,気持ちいい。これだけで幸せ感。あったかーい。
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2007年10月11日

「考えます」

07.10.5-2.jpg  テレビを見ていたら,「申し訳ないと考えます。」と。でも,テロップでは「申し訳ないと思います。」と。役人のコメントだった。申し訳ないに「考えます。」はヘン。でも,それが本音なのだろう。思ってもいないのに謝罪するから,「考えます」になったのだろう。
 「思う」「感じる」ものを,「考える」ものにしてしまっている。
 同じように,僕のこのところ仏法の聴聞が,考えるもの,覚えるものになっているような気がする。
 「身をとおして」とよく言われた。だが,僧となって自分の学びが,べったり名利と対になってくっついている。
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2007年10月10日

磨けば光る

07.10.9-1.jpg  報恩講の段取りを考えていくうち,先般のオミガキに出し忘れていた燭台に気づく。早速取り出して磨きだす。さっと済むものと思っていたが,それが意外に大仕事と分かる。ゴシゴシと力を込めて擦らなければならない。おかげで,右手がだるくなってしまい,今朝は右肩にコリがある。オミガキでは自分が仏具を直接磨くことはなかった。だから,こんなに大変な力仕事だとは知らなかったのだ。
 急に肌寒くなってきた。今日は夏物と冬物の入れ替え作業をするとしようか。週末に予定されているお話の準備もしなければ。
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2007年10月09日

苦悩なんてない

kiri-1.jpg  霧の中を走る。五里霧中というけれど,行き先も歩む方向もワカラン。時折,「人生の意味」とか「生きる値打ち」なんて考えるけれど,何だかウソっぽい。
 昨晩も夜遅くまである会合に出る。そこでのおしゃべりで,自分は,ただ目の前にある欲みたいなものに突き動かされ,自分の人生をただ執着して正当化しているだけじゃないか,というようなことを思った。格好悪いそのまんまを,ひけらかしてモタモタ歩いているだけ。
 そして,亡くなった先生を想った。叱ってほしいとも。学びの方向がゆらいでいる気もするが,五里霧中でいくしかない。
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2007年10月08日

山号額

sangoh.jpg  江戸末期に地元の藩主から贈られたとされる山門に掛けられた額。それに「淨土真宗」の文字が見える。当時,「淨土真宗」を公称することができなかったはず。淨土系各宗派からの反対もあって,真宗と略称してきた。なぜ?
 一向一揆を持ち出すまでもなく,真宗の歴史は時の権力者と対峙することが多かったが,やはり江戸時代には完全にその雰囲気はなくなっていたのだろう。藩主から贈られることを誇りに思う体質ができてしまったのだろう。それも,この寺の背負ってきた歴史。
 昨日は,隣寺の報恩講にお参りする。いよいよ報恩講シーズンの始まりだ。
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2007年10月07日

赤色赤光

07.10.5-1.jpg  今日は,Hさんの五七日(満中陰)法要だ。この1ヵ月,毎週日曜日に中陰参りをした。それも今日で終わる。亡くなって35日。先日も報恩講のお華束つくりの話の中で,Hさんが,ついた餅をちぎる役割をして他の人が丸める作業をしたこと。今年は誰がちぎるかとなる。同じ大きさにちぎるにはベテランでなければ不揃いになる。そういえばHさんの発案で,あんこ餅も作った。
 昨年の報恩講のオタメ(お返し)をテッシュボックスにしたのも彼女の声だった。理由は,誰もが使えること。軽くてかさがあることだった。そんな発想はとても僕には思いつかなかった。そんな彼女の応援でこの2年間,寺に生活できるようになったと思える。
 仏華に彼岸花を活けた。ちょっとどぎつ過ぎる赤だけれど,赤色赤光だ。
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2007年10月06日

みんなの支え

gifu.jpg  先日来訪してくれた学生たちやその先生たちから何通かお礼のメールを頂戴する。その中に,最後の集合写真があった。今日はそれをアップする。
 日常は,この集落のしかも寺の門徒さんたちとの交際に限られてしまう。学生たちの来訪を知らぬ顔をしながらも,実はみなさんが知っていて認めてくださっていた。寺のあり方をこれからも考えて行きたい。
 写真の笑顔を見ながら,会話の端々に覗いたそれぞれの学生たちの思いを思う。夜中にそして朝早く海岸を散歩したり,競って食事の準備したり片づけしたり。初々しくて,素直な彼らを何だかいとおしいと思う。少しヘンか。
 昨日は,定例の婦人会のお勤めの稽古。休憩時間に11月の報恩講に向けて,色んな相談が始まる。打合せすることが沢山。それを聞きながら,報恩講を迎える皆さんの熱い思いを有り難いとしきりに思う。
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2007年10月05日

理想の家庭

07.9.25-1.jpg  大根の間引き菜。少し前になるが,僕の大好きな野菜なのでアップ。
 
 昨日は,ある会合で,子どもが非行化しないためにはどうしたら,といった趣旨の話し合いをする。そこで気になったのは,非行化の原因を家庭や親のあり方に対する批判だった。そこで,理想の家庭,理想の親を求めることばかりが話題になった。
 実は,それが気に入らなかった。理想を求めることは結構なことなんだけれど,そうはなっていない家族や親を批判し排斥する雰囲気を作ってしまうのではないか。現実はそうはなっていない家族,実は問題だらけの家庭,欠点だらけの親なんだと。そして,子育ての目標は非行化しないことではない,などと言ってしまった。
 理想を求めることは,ヘタをすると,そうなっていない現実に目をそらしてごまかすことになるなどと。基本は夫婦です,家族ですなどと力説されると,ついそれにムキになって反発してしまいたくなる。
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2007年10月04日

学生たちのおみやげ

07.10.3.jpg  先日の学生たちの訪問時,「お坊さんに,これはとも思ったんですが。」と地酒2本を手土産に頂戴する。そして帰った後の冷蔵庫には,こんなに沢山のビールが残されていた。先頭だって立ち働いていた学生に帰り際,「ご住職,冷蔵庫の缶ビール,飲んでください。」というようなこと言われたが,こんなに沢山残っているとは。でも,思わず笑みの自分。
 それにしても,寺のお勝手口に湧き出ている湧水がこんなにも喜ばれたとは。何人もがペットボトルに汲んで持ち帰ってくれた。岐阜も水のおいしい所なのだが,それだけに水に関心が高いということか。
 昨日は友人の寺の落慶法要のお手伝いの打合せに行ってくる。打合せのなかで,内陣の前卓(まえじょく)の位置について,輪灯との位置関係が説明されて,早速我が寺の配置を確認する。儀式作法のビデオも見直して,入寺以来のこれまでの配置が少し違って,前過ぎたことに気づく。そして,何も知らぬ自分をまたまた思い知らされる。
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2007年10月03日

幸せな時間

07.10-2.jpg  学生たち23人がお朝事に座ってくれた。終わってビックリ。全員が足をさすったり,倒れたり。そうか,みな正座してくれていたんだ。「どうぞ足を楽にして」と言うのを忘れてたなと思ったが,わずか20分ほどだったけれど誰も足をくずさず,全員が足の痛いのをガマンして座り続けた。この学生たちに新鮮なものを感じた。そのことがとても嬉しかった。
 今,お勤めの時間,全員が正座を続けることはほとんどない。半数以上が足をくずしているのが普通になっている。正座してお勤めする。当たり前のことが,今や成り立たなくなってしまっていることを今更のように考えさせられた。
 真宗の教えは特別のものではありません。事実を事実として受けとめること,真実の人生を生きていきたいと望むことです,などと話したが,どんな風に聞いてもらえただろうか。
 学生たちは,さわやかな風を残して,出発しました。バスの窓からの笑顔,有り難うございました。
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2007年10月02日

聞く耳を持つ若者たち

07.10.1-1.jpg  『森林アカデミー』という名の専門学校の学生たちが20数名泊まりにきてくれた。座学とフィルドワークを併せ持つ学校のようで,高校卒ばかりでなく大学卒業生や会社を辞めて入学する人もあるという。昨日は里山体験ということで敦賀市内の湿地帯で体験学習をしてきたという。
 酌み交わしながら,色んなおしゃべりをするうち,この若者たちが年代も考え方も異なる人の話を相槌打ちながら聞いていこうとする姿勢があることに,不思議な感覚を覚えた。現職時代に少年院の生徒が懸命に目を輝かせながら先生たちの話に聞き入ろうとしていた姿に重なる。
 自分は若いころ,人の話を素直に聴くなんてことはほとんどなかった。議論ばかりして,自分の主張を言いつのるばかりだったような気がする。
 出身は岐阜県が最も多いとのことだったが,北海道から九州まで全国から集まって,学びを積み重ねようとする若者たちを,まぶしい思いでながめる。
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2007年10月01日

ほっとけ?

susuki-2.jpg  門徒のある奥さん「ウチは,ほっとけやから。」と笑顔。何だろうと,よく聞いてみると「仏(ほとけ)」と「放っておく」を合わせた造語。つまり,「仏法に熱心じゃないから,お内仏のお給仕や寺参りにあまり熱心でない。」の意らしい。 
 そう言いながらも,奥さんは,オミガキにも来てくださったし,お勤めのお稽古にも初めて出席された。
 どうも,僕は仏法を特別のことのようにしてしまっていて,それを暗に感じた奥さんが,予防線を張って,僕に責められぬようにされたのか。キチンとお内仏のお世話をしたり,熱心に寺に通わなければイカンというような雰囲気を僕が発信しているのかも知れない。
 念仏申す申さぬにかかわらず,阿弥陀さんの光は十方に届いていると教えられているのに。普段の生活とは別のものにしてしまっているのではないか。日常生活そのものが聞法の道場ですと先生によく叱られた。外道に陥っている,煩悩まみれになっている。イヤそのことに気づきもしないで娑婆世界をのうのうと生きている。それがそのまま阿弥陀様の御手の中にあるのに。
 悪戦苦闘している日常生活,そして何も考えずうかうかと時間をつぶしている。そんな僕に絶えず阿弥陀さんは呼びかけていてくださる。それを見ようとしない。感じようとしない。だからお念仏が生きる力にならないのだ。
 
posted by ゴエンさん at 09:58| Comment(1) | 日記