小中学校の夏休みが終わり,昨日から見守りボランティアも復活した。僕は,18時の中学生の下校見守りを担当しているから,1ヶ月ぶりに顔を合わす。何だか「久しぶり,元気だった?」などと声をかけてしまう。聞いてみると,部活や行事などで夏休み中も何度も登校していたという。そうすると,夏休み中の登下校では,見守り隊からも解放されていたことになる。「安心・安全」という何とも言えない呪文みたいなもので,動かされているのだけれど,子どもたちにとっては,見守り隊って結構窮屈な存在なのではないかと思ったりもする。
僕にとっては,中学生の初々しい笑顔に出会える楽しみなのだ。部活を終えての下校だから,みな汗びっしょりだ。中学生の汗って,いい。
あの連日の日照りがウソのように,このところ毎日雨が降る。裏庭の空池にも水が溜まっている。
毎週火曜日の中陰参りも昨日が,四十九日。北陸道だけなのだろうか,ゴミ箱がビニルひもでくくられている。これで盗難防止になるのか。
人事は,自分の信条や理念を実現するための具体的な作業だ。単に自分の気に入る人を配置することではないけれど,理念を実現する実行部隊の編成なのだ。それが,覇権争いのようになってしまうと,悪魔の仕事になる。第一線の実行部隊は指名できても,それを指揮監督する幹部は,お上からのお仕着せ。そこで下克上のようなことがおこると,意に沿わない人事配置を命じなければならなくなる。志のない配置は,一応の理屈はつけながらも,虚しいし,ヒトを傷つける。
「情報を持つことが力」とは,現職時代よく思った。そして,人に関する情報をイヤによく持っている人がいた。この物見高い人たちを僕はどちらかというと敬遠してきた。そういう人たちを「品のない人」とも思っていた。人事担当畑の人もそうなのかもしれないが,どんな情報を持っているかを秘匿する人が多かった。管理者となって分かったが,そのほとんどが風評といわれるたぐいのもので,それが結構,人事にも影響している事実にも驚いた。
猛暑のぶり返しというけれど,朝晩は随分過ごしやすくなった。
僕は,PCユーザーになって以来,ワードを使っている。それは,勤務していた役所がそうだったから。それで困ることはあまりなかった気がする。しかし,今,僕の周りは圧倒的に一太郎なのだ。それでも,大抵読み込めるのだが,頂戴したCDがどうしてもワードでは読めず,古いPCでは読めるのだが,どうしても紙に印刷したくなり,長いこと迷った末に一太郎ソフトを購入する。
昨晩の雷雨のせいもあるかもしれないが,あれだけ喧騒の中にあった海岸から,海水浴客が消えた。いつも行く温泉の浴場も僕以外に一人。静かな温泉にひたりながら「夏が終わったなあ。」と思う。
真夜中に雷とザーッという激しい雨の音で目を覚ます。「そうだ,窓を開け放していた。」と閉めに走るが,廊下がビチョビチョになっている。真夜中にモップ持って走り回る。おかげでそのまま眠られなくなってしまった。
彦根の亡くなった先生の六七日法要に参列して,割り当てられたお話をする。亡くなって初めて,先生が僕に目をかけていてくださったことや願いかけしてくださっていたことに気づいた,というような趣旨の話をした。20分ほどで話が尽きてしまった。終わりの恩徳讃で,落涙し,むせてしまった。
もちよりと言っても,ちょっと醤油の多過ぎたゴーヤチャンプルを作っただけで,持参された奥様の手料理を専らご馳走になる。スーパーのお惣菜とは一味違う。どれもこれもオイシイおいしいを連発しながら食べるが,何せ二人ではそんなに食べられない。残りは冷蔵庫に入れて,今日もいただきます。
大勢でご飯食べたり,海水浴に出かけたり,疲れて昼寝したりする仲間を見ながら,帰省客を楽しみにして迎えるばあちゃんたちの気持ちが分かる気がした。
前の職場の仲間が海水浴にやってきてくれた。前にもそう思ったのだが,この仲間の胃袋の貪欲さには感心する。冷凍しておいた小あじの唐揚げを準備したのだが,またたく間に皿が空になる。焼肉,刺身,何でもきれいに食べつくす。飲み過ぎないようにと最近言われていたが,ついつい僕も少し飲みすぎたか,お客たちの談笑をよそに,また一人布団に入ってしまう。朝起きたらテーブルがきれいに片付いて,食器も洗ってある。
昨日は福井の友人の寺で話を頼まれ,海水浴客であふれる越前海岸を往復する。この2年間で知己を得た寺の尼講で自己紹介を兼ねておしゃべり。
今朝の新聞に「猛暑」の活字が躍っている。この連日の暑さに閉口している。昨日の法事でも汗だくになりながらお勤めした。
入寺して最初の行事が孟蘭盆会法要だった。それから毎年8月15日の午後に盆法要をすることが恒例となった。禅宗や浄土宗などは盆法要を大事にされていると聞くが,真宗寺院で孟蘭盆会法要をするところは少ない。現に僕の周辺の友人たちの寺で,盆法要をされているところはない。でも,お盆のこの恒例になった行事を有り難いと思う。
世間は帰省ラッシュらしい。いつもは交通量の少ない北陸道も,乗用車の数が多い。この村にも他府県ナンバーの車が沢山来ている。いつもの総代の軽トラに見慣れぬ子どもや浮き輪を乗せて走るのを見た。「ああお孫さんが来ているんだ。」
あらかじめFさんに「高野槙を切らせて。」と頼んでいたから,朝一番に切りに行く。枝だから当然反っている。それを添え木に縛り付けて少しでも真っ直ぐにする。花瓶が6つもあるのだから,それだけで日が登ってしまう。Kばあちゃんの畑からお盆花(ミソハギ)を一抱え,白い花はMさん。アスターは前日にMばあちゃんが届けてくれた。ハランと蘇鉄は寺の庭。
(しゅうかいどう)という秋の花。
先日のキャンピズと小学生の交流の余韻が残っている。これは日没前のファイアーの点火を待つ小学生たち。
社会福祉を志す学生たちをまぶしい思いで見る。10日間のキャンプ日程のうち,たった一晩のミーティングと称する息抜き。本当のミーティングは,一日を振り返ったり,翌日の予定を議論するらしい。
これは,キャンピズと地元の小学生との顔合わせのワンカット。自己紹介の少し固い場面。でも,これを通過しないと。
今日から学生ボランティアグループ,キャンピズの一行がやってくる。今日の午後は,地元の小学生との交流が予定されている。バーベキューを一緒にという企画。そこで門徒さんに,「野菜ください。」と話していたら,続々と野菜が届く。ありがたい。
長野県の有明高原寮に勤務していたときに,いただいた種から始めた西洋朝顔(ヘヴンリーブルー)。10年目になるだろうか。今年も植えて,たくさんの苗をお裾分けもした。ところが,次々と立ち枯れていくではないか。どうしたんだろう。病気かムシか。生き残って丈も伸びたのに,突然枯れだす。日照不足か,土か,原因不明だ。ちょうど最近の僕の体調を象徴するように。
行きつけの喫茶店で,開店7周年記念の催し,ピアノとヴァイオリンのデュオを聴く。コンサートの手作り感がいい。そして,弾き慣れた感覚を隠さない演奏者を見て,これが若さなのかと思う。みなで楽しもうとする一体感が心地よかった。『熱』は感動を生む。達者な演奏は何を生む。
恒例となっているお盆前のオミガキ。暑いからと向拝(本堂の入口)と参詣席に広がって,オミガキをしていただく。段取り八分というけれど,前日から花瓶を空にして座机に並べたり,真鍮磨きを求めたりしてオミガキに備えた。
輪島の友人から小包が届いた。開けてみると,茶入れにもなりそうな器。お手紙に「毎日の生活のなかで使っていただきたい。」という趣旨のことが書かれていたので,コーヒー用の砂糖入れに早速使わせていただくことにした。
刈り込みを終えた境内の庭木。
台風が来て,風や雨にあたるとダメになるからと,急きょ収穫した野菜をいただく。北陸はこれから台風5号を迎えることになる。
昨日は,総代たちが朝早くから来てくれて境内の剪定作業をしてくださる。僕は落とした枝を集めるのを手伝っただけなのに,フラフラになってしまった。
『酔って候』(鴨居玲)