如念尼(にょねんに)この言葉の響きが印象的だ。すべて「な行」だ。 nyonenni と n が4字もある。女性的なやわらかな法名。僕は了勝 ryosyo。それに比して無粋な音だなあと思う。昨日,大雨洪水警報の中を市内に出る。銀行のATMの前に長蛇の列。帰宅してテレビで公務員のボーナス日だったことを知る。そうか。ちょうど2年前僕は少年院を退職して,名神,北陸道を敦賀に向って車を走らせていたのだ。あの日も大雨だった。涙で言葉が出なかった離任式の雰囲気をそのまま引きずってハンドルを握っていたことを思い出す。
庫裏の玄関前に,法名で表札を掲げて2年。一体どこに向っているのか。門徒さん方のやさしい眼差しをいただき続けたことだけは,まちがいない。
誘われて1泊2日で広島県の瀬戸内海に浮かぶ生口島を訪れる。承元の法難(親鸞聖人が越後に御流罪となった念仏停止の法難)。その発端となったのが上皇の女官姉妹の出家とされる。その松虫・鈴虫ゆかりの寺を巡る。
法話会の前日。婦人会の皆さんが準備に来てくださって,僕も本堂で何かしていた。そのとき,「電話!」の声で渡り廊下を走った。何と鴨居にガツン。
24日の法話会の日にいただいた花。確かルドベリヤと聞いたような気がするんだけれど,ネットで検索しても出てこない。本当は何という花か。沢山の方からいろんな花を頂戴したのだけれど,花の名を言えない花が多い。別に名なんか知らなくてもいいのに,なぜ名前を知ることににこだわるのだろう。
昨日は,婦人会主催の法話会。雨の中,準備した座布団が足らなくなるほど大勢のお参りに驚く。夜の法座も予想を超えて沢山お参りいただいた。
いよいよ今日は法話会。昨日は,婦人会の役員方が来てくださって,本堂や座敷の掃除をしてくださる。玄関がクモの巣だらけと言われ,それに気づかなかったなあと思う。
真っ赤な実ばかりが印象的な南天。でもこの時期の白い花を仏華にも使えるなあと思う。
今は花持ちが悪い。チョット早いかと思いながらアジサイを活ける。去年と違うのは,大きなアジサイを一つにしたことか。特に,足下に活けたガクアジサイが心配。初めて蘇鉄を使った。
仏華の活け替えに挑戦。門徒さんや寺の庭などにあるものを集めたが,うーん足りない。あるものだけでとも思うが,今から少しだけ買い足しに行ってきます。
昨日一日,キーボードに向って,7月1日の講演のレジュメ作りをする。その作業を進めるうちに,自分の気分がハイになっていくことに気づく。ナゼだ。
2年前,親しかったある少年院長に,退職してこの寺に入寺することを決めたことを漏らしたとき,「肩書きのない人生を始めるのですね。」と言われた。
座椅子から起ち上がる際に,蚊取り線香の皿を踏んでひっくりかえす。老眼鏡を踏むなんて結構ある。先日は爪楊枝をケースごと床に落として,この時は悲惨だった。一つ一つ拾って向きをそろえて戻した。
今月24日(日)に婦人会主催の法話会が予定されている。この地区の二つの寺の仏教婦人会が交互に主催している。今年は高雲寺仏教婦人会が当番だ。
つい最近まで,「ほっこりする。」の意味を間違えて聞いていた。「ほっとする。ヤレヤレと一息つく。」そういう意味だと思い込んでいたが,どうも違うらしいと気づいた。むしろ逆の「疲れた。」「大変だった。」というニュアンスの言葉と知った。
午前中,雨が降ったからと,Kさんがばあちゃんとお孫さんを連れて台所の床を磨きに来てくださる。洗剤をつけたナイロンたわしでゴシゴシ,それを古いタオルで拭き取る。うす汚れていた床がきれいになりました。ありがとうございました。
昼顔を植えたプランターを移動する。本堂の雪囲いの西側に這わせる段取り。日照時間の少ないことが気になる。うまくいくだろうか。
毎月,長浜で行われていた若手僧侶の講座。この6月が最終回ということで,先生を囲んで有志で懇親会。みなの顔が赤いのはお酒のせい。
(勧修寺の睡蓮)
組(近くのお寺の集まり)の呼びかけで,東本願寺の同朋会館に1泊2日行ってくる。何度かこの本廟奉仕に行っているが,今回は門徒さん方と一緒だ。今までは奉仕団の一員だったが,僧侶であるせいで自分が必然的に指導的な気分になってしまう。
このところ,毎日のように責役や総代と顔を合わせている。そして,いろんなおしゃべりの中で,よく出てくるのが,「寺のこっちゃから」とか「その方が寺のためにはいい」というフレーズ。
大好きな西洋朝顔,ヘブンリーブルー。今年も植えました。種があまったので,苗床に再度,蒔きました。植える場所がもうないので,苗のほしい方に差し上げるつもり。昨年は下の方の葉が黄色くなって,花が高いところにしか咲かないことになったので,今年はその失敗をしないようにしたい。水か追肥の管理が課題と思うけれど。
福井市内のある大きな病院。周知のことだが,病院のエレベーターの動きはゆっくりだ。病室に上がるエレベーターの前に立つ。しばらく待つ間に,何人かの人が集まる。最初の人,盛んに舌打ちの音が聞こえる。二人目,今度の女性はしばらくしてため息。次に来た女性は眉間にしわが。一つのゲージに一緒することがためらわれるほどのこの空気。自分も何だか暗い気分になってしまう。
同じ話題で,3日目も。昨日,ブログに『武士の一分』のラストシーンを妻の立場で見ていたと記して,ああいつも自分は,許しを求める,愛を乞う,救いを求めるといった一辺倒の思考が優先してしまう性癖があるなと思った。
「愛は執着です。」とは,ある先生の言葉だった。なるほどと思いながらも,もう一つ腑に落ちない気持ちが残っていた。
もう蚊取り線香の時期かと思いながら昨年の蚊取り線香を探す。今日は,早速買いに走らねばと少しうんざりする。まだ,石油コンロに鉄瓶を掛けたままなのに,確実に季節は変わっていく。
昨日,25年前に勤務した少年院のOB会に出席する。沢山の参加者,そして,昭和50年代の後半に,僕と同時代にその少年院に勤務した顔が沢山ある。それぞれの人に色んな思い出がある。
偶然に僕のホームページを見つけましたと,10年前に勤務していた少年院の職員からメールを頂戴した。懐かしい思いでメールに返信する。釣り仲間でもあった。互いにチヌ釣りの釣果を競った人でもある。互いにとっては釣りの師匠でもある方が既に亡くなっているとの文面に驚く。彼は今も釣りキチなようだ。
朝,白の半そでシャツで登校する生徒たちを見る。それで「ああ,今日から6月か。」と思う。実は,学校からの「この封筒をお返しください。」と書かれた封筒を預けるために登校時間に合わせて外に出たのだ。このごろ,こういうことが流行っているのか,保護司会でもらう封筒にも「この封筒お返しください。」と印刷されている。次回の会合に忘れないように,目立つ所に保管しておくのだが,つい持参するのを忘れてしまう。学校からの封筒もそうなのだ。封筒をもらってから2度も学校へお邪魔しているのにその度に持参するのを忘れる。これって少なからずストレスだ。外出時に携帯電話を忘れていることに気づく,あのなんとも言いようのない落ち着きのなさに通ずる。