夜6時の下校見守り以外に何の予定もない日々が続くと,ついぐうたら生活になってしまう。昨日は,仏華の活けかえと本堂の掃除を自分に課した。冬は花もちがよくて,実は正月の花を昨日まで活けっ放しだったのだ。さすがに菊は花が開き,葉も枯れている。そして,「高雲寺便り」2月号をプリントアウトして配った。
今朝も雨。随分暖かい。天気予報によると明日からは雪が降るというが,本当だろうかと思ってしまう。
31日の先生の日々法語は,「倒れることによって 起(た)ちあがる力をいただく」だ。よくおっしゃっていた言葉だ。
本当は自信家で我も強い僕は,倒れることばかりをおそれて,それでもヒトに褒めてもらいたい人間。甘やかされチヤホヤされて育ったせいなのか。
同朋会館からいただいた日めくり法語は,「宿業ちゃ 立ち上がることだ」 うーん。
先生の一周忌でいただいた「日々法語」。先生の言葉が31枚。いつも口癖だった言葉やハットするような厳しい言葉が。そして懐かしい筆致に心動かされる。
玄関の方で声が聞こえたような気がする。出てみると「何べん呼んでも,返事がないから,いないかと思った。」とMばあちゃんが立っている。ストーブの暖気が逃げないようにあちこちの戸を閉め切ってテレビを見ていると,玄関のお客に気付かない。
1泊2日で,友人の寺に行って,歎異抄のお話を聴いてきた。
官僚組織のど真ん中にいながらも,心の片隅でいつもそれを批判的に見たり,反骨を口にしたりしてきた。それを,良心と思ったり,見識と思って自分を正当化してきた。懸命に組織を守ろうとする役人たちを,「保身だ。」「出世主義だ。」と心の中であざけりながら,表面ではもみ手して,それなりに出世もした。日本の経済発展期に,金儲け一辺倒の母親への反発を抱きながら成長してきたからか。大学を卒業して就職する時から,いわゆる一流企業なんかには就職すまいとヘンに肩肘張っていた。
何も予定がなかったから,越前海岸をドライブ。これまでの温かい交友がしきりに頭をよぎる。人と人との関わりほど自分の心を熱くしてくれるものはない。なぜかそう思う。
水槽に新しい金魚を入れると,金魚の仲間の関係に微妙な変化が現れる。互いに意識していることが分かる。数日すると落ち着き,序列みたいなものもできる。
週末,ちょっと遠出してきた。大切な別用も出てきたのだが,前から頼まれていた法事の約束を優先した。恥ずかしい話だが,曽我先生の本は結構揃っているのに,あまり読んでいないのだ。この『親鸞の仏教史観』も1年前の住職修習で記念品としていただいたものの,いつも手元に置きながら,1年間ページが進まなかった。
年賀状のお年玉番号を調べていくうちに,年賀状に添えられている言葉が気になりだす。近況や僕へのメッセージが書かれていて嬉しいし,これからも人間関係を深めていこうという息吹みたいなものを感じる。一方,印刷だけで添書きのない年賀状はそっけない感じ。添書きのない賀状は,業者と退職者に多いことが分かった。わずかにあったものは,「毎日が日曜日ではない日々です。」とあった。それ以外は,見事に添書きのないものばかり。何だか,炬燵に丸まってコップ酒を飲んでいるような,気力もあまりなく,新しく人間関係を紡いでいく意欲があまり感じられない。
円空の「微笑(みしょう)」とよく評されるけど,カメラアングルを少し変えるだけで,別の表情があらわれる。
昨日のある勉強会で,自分の感情をあらわにしてしまって,怒鳴ってしまった,などという話を聞きながら,自分はどうかと思う。
冬の作務衣。つまり綿入れだ。格好は悪いが,着れば随分温かい。毛糸の帽子も捨てがたい。特に帽子は,散髪した後かぶると,その温かみを実感できる。
毎月,ご聖教(しょうぎょう)を教えてくださっているグループの勉強会。1月は拡大学習会ということで,僕も15分程度レポートすることになった。老化した脳みそと萎えた気力を抱えながら,お陰で先生の文章を繰り返し読む機会をいただいた。そんな中,「業識(ごっしき)」という聞きなれない言葉にぶつかってしまった。難しいけれどそれをレポートしようと考えている。
ある門徒さんからいただいた「みそ」。確かトリ野菜みそ,と言ったか。鍋に溶かして,豆腐や白菜を入れる。それだけでいい。そして,おいしい。このところ連日,このみそを使って食べている。
音楽は煩悩の極致,みたいなことを友人の先生がおっしゃっていたとのことだけれど,本当にそうなのかも知れない。五感をゆさぶるような楽しさなのだ。
これは,宮沢賢治の有名な「雨ニモマケズ」だ。栃木県にある刑務所に勤務していた時,東北道を北上して花巻にある宮沢賢治記念館を訪れた。その折に購入した。
北陸トンネルが出来るまで鉄道だった,旧北陸線を利用して山道が作られている。林道といってもいいような道だが,狭いけれど一応,全部舗装されている。僕の村から葉原という集落に抜けるには,三角形の一辺というショートカットになるから,人気のない道を走る。たまたま撮影した時には前に車がいたが,大抵誰もいないこの信号。この先には狭くて,暗い,やたら長いトンネルがある。だから交互通行のための信号なのだ。信号待ち5分。青信号は30秒あるだろうか。
豆餅は豆餅でも,豆(大豆)ではなくて落花生が入っている。ストーブで焼いて,ちょっと醤油つけて海苔をまいて食べるとおいしいぞ,と言われ,言われた通りにして食べる。こうばしくておいしい。
実は,この2日間,正座がつらくてお朝事をサボっている。そんな言い訳をして,また365温泉に。敦賀は雨だったのに,今庄は雪。車を4WDにスイッチして,雪道を走る。雪で視界はさえぎられるが,湯船から雪降る風情を眺める。なかなかいい。温泉の暖かなお湯が余計に有難く思える。
「冬の嵐」とは,昨晩のNHKニュースのタイトル。雪になるかと思ったが,終日,強い雨風。今朝は,風は少し弱くなって,雨が降りつづけている。
夕べは,夜中じゅうガラガラドンと雪起こし(雷)が鳴り響く。その度に起こされる。家中の建具や家具が反応する。外を見ると,一面真っ白。今も降りつづけている。少しは積もるのか。灯油を満タンにしておいてよかった。隙間から冷たい風が吹いてくる。
家が古いから,コンセントが極端に少ない。一つのコンセントから,色んなところに電気を引っ張る。専門家が見たら,とたんにひんしゅくものだろう。
この村では,正月に門徒報恩講をする慣わしがある。2日から,門徒さんのお宅にお邪魔して正信偈のお勤めをしている。一日5軒のペースでお参りしているが,5軒目となると足が痛くてしょうがなくなる。正座に強くなったと思い込んでいたが,まだまだだ。
かって転勤族だったから,職場で知己を得た方々との年賀状の交換が圧倒的に多かった。上司だったり,同僚だったり,民間ボランティアだったり。これらの方々のご厚情を思うと失礼かとは思いながら,枚数の多さに閉口して,昨年から,年賀状を頂戴した方に賀状を返す(いわゆる返り年賀というのか。)方法に変更させていただいた。そのせいか,今年は見事に職場関係の方々からの年賀状が減って,ついにそれ以外の方からの賀状の方が多くなってしまった。ここ数十年で初めて。
この村では,正月に門徒報恩講をする。昨日は,5軒をまわる。5軒目では,膝が痛くなる。心配していたとおりだ。自信がついていた正座だが,所詮付け焼刃。正月2日とあって,どの家も帰省の孫がいっぱい。そして,お参りに座ってくれた。「しまった。ポケットに飴か何かを忍ばせておくんだった。」と気づいたが,後の祭り。
沢山の参詣者に有頂天になり,ブログ用の写真撮影を失念してしまった。この写真は祖師前(親鸞聖人)です。
おだやかな新年を迎えました。